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海原雄山界の現状


 美味しんぼの主人公である海原雄山には、偉大な先人達の膨大な研究により、複数の人格が存在していることが立証されている。すなわち、初期雄山、中期雄山、後期雄山である。

 ひたすらに横暴で、NGワードばかり公言し、人格破綻を起こしていた初期雄山。
 究極対至高対決において、その圧倒的実力で山岡栗田を一敗地に塗れさせ続けてきた、強大な壁としての中期雄山。
  そして、栗田に籠絡され、頼み事をよく聞くようになり、孫を抱くという腑抜けに成り下がってしまった後期雄山だ!

 なお、今挙げた3つのカテゴリは、最もアバウトなものであることを予め書いておこう。これは、無知なる大衆に海原雄山界を分かり易く紹介するための、我々からの優しさである。

 海原雄山界の正確な定義だが、スタンダードな定説は唱えられているが、万人が納得する説は未だ存在していないのが現状だ。初期に限っただけでも定義は諸説入り乱れており、「至高のメニュー発足までを初期とし、単純化するべきである」という説もあれば、「発足までを初期とする案には賛成だが、初期を更に細分化し、『初期雄山01』『初期雄山02』というように整え、体系的に捉えるべきである」という案もあり、まるで収拾がついていないのだ。

 上述のような議論に加え、「そもそも初期は、雄山がビニールハウスのトマトを”認めた”ところまでであるため、その説は根本的に間違っている」という主張までもが行き交っており、初期と中期の境目に関する論争すらも決着はついておらず、議論は終着の気配をまるで見せていない。

 さらに、「今の雄山は、後期雄山ではなく、未来雄山とするべきである」という新説も一部の新興団体から強硬に主張されており、ただでさえ纏まりに欠ける海原雄山界は、ここに来て更なる混迷の時期を向かえているのだ。

  以上のことから分かるように、海原雄山界に関する問題の複雑さと重要性は、もはや”学問”と呼んで差し支えないレベルに達していると言えよう。しかし残念ながら、未成熟で、未整理な、黎明期にすら達していない学問である。今、海原雄山界では、強い求心力と他の説を圧倒する強さを併せ持った、革命的な論と、論客が待たれている。

  なお、当サイトにおける海原雄山界へのスタンスだが、残念ながらまだ結論を出せていない状態である。研究を行い次第、徐々に成果を発表していこうと思う。

 

2002年12月3日