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生きる(根本敬 著) 滅入った。こんな本、読まないほうがいいです。 このマンガは、中年サラリーマンである主人公の村田藤吉さんとその妻、母、息子、娘の5人家族が織りなす日々を綴った日常マンガです。村田さんは別に何か悪いことをしたわけでもないのに、日々イジメ、無視、恐喝、とばっちり、事故死などの酷い目に常に遭っており、家族も所属するコミュニティでそれぞれ酷い目に遭っています。一家が酷い目に遭うシーンは数あれど、僕を特に滅入らせたシーンは、学校の授業でローマ字を習った娘が休み時間に「やーい、ビー・ユー・ティー・エー(B・U・T・A)」と罵られるのですが、娘は頭が悪いため自分が何と言われているのがわからない、というところでした。村田さん一家は遭難死、息子の自殺、一家心中等の悲惨な末路だらけなのですが、誰も死ぬわけでは無い、娘が致命的に頭が悪いというシーンが、そんな悲惨な末路より僕を滅入らせました。他の家族も、似たような目に遭っています。否、そのような目にしか遭っていません。別に何か悪いことをしたわけでもないのに。 しかし、村田さん一家は酷い事象に対する抵抗も反論もろくにせず「仕方のないこと――」と苦しみながらもそれを受け入れてしまうのです。嫌がりはするのですが、抗う術を知らないために受け入れるほか選択肢が無いのです。また、村田さんとその一家は全員、外見的にまったくぱっとせず内向的で自己主張が全然できず、周りの空気が読めず、やることなすこと裏目に出るという共通の特性を持っています。それが酷い目に遭うサイクルを加速度的に早めていくのですが、それは村田さん一家の特性であり気質なので抗うこともできず、ましてや直すことなどできるはずもなく、一家はただただ酷い現実を受け入れていくことしかできないのです。というか、そもそも、自分たちが何故こうも酷い目に遭うのかの理由、改善策を考えるだけの頭が村田さん一家にはありません。そんな村田さん一家に降り注ぐ酷いストーリーが、根本敬の下手であるがゆえにリアルで生理的不快感をもよおす絵で描かれる。本作はそういう作品です。 作品説明を淡々と、描写もせずにストーリーの詳細も伝えずにスペクタル性を極力排除して書きましたが、それは僕がこの作品について詳しく書きたくなかったからです。この程度の文章ですら書いてて気分が悪くなってきました。断片的な文章が好きな人間で本当によかったです。もし僕が描写が好きな人間だったら、文字コミュニケーションのディディールに凝らずにはいられない人間だったら、そしてその能力と技術、才能を持ち合わせていたなら、このテキストを書いているときになんらかの精神的、身体的変調をきたしていたかもしれません。今までに絵、映画、小説、マンガなどの様々な表現形態に触れてきましたが、そのなかで根本敬の描く絵と話が、最も僕を不快にさせました。まったく滅入ります。 鶴見済が「”悪いことをする”と”酷い目に遭う”はほとんど無関係なんじゃないか?」と言っていましたが、根本敬はそれが適用される人物、状況を描くことに関して並ぶものは皆無なのではないでしょうか。そんなもん描かなくていいです。僕は恐らく、もうこの本は読みません。 ※追記 |