山谷

 東京都北部に位置する一大ドヤ街。学ぶことが異常に多い街。近くに小塚原処刑場跡があるのが象徴的。

 山谷は、荒川区南千住から台東区清川、東浅草一帯の地域を指す名称である。現在は山谷という地名は抹消されたが、地域名称として残っている。江戸時代には、日光街道と奥州街道の入り口となる宿場として発展した。太平洋戦争後、被災者が上野周辺に集まり、山谷に簡易宿泊施設が作られるところから現代山谷の歴史は始まった。

 人が集まるところから復興は始まる。山谷に集っていた被災者達は、復興時の労働需要に大きく貢献した。それは次第に「山谷には仕事がある」という形で諸方に伝わり、山谷には職を求め労働者が集まっていくことになる。折しも時代は戦後復興から高度成長期であり、最盛期には300件の簡易宿泊施設に、20000人もの労働者が集まっていたという。だが、昭和後期から経済成長は緩やかになり、山谷に対する労働需要は減っていった。それに伴い、山谷には職にあぶれた人間が増えていくようになる。バブル期には一旦盛り返したようだが、現在は長引く不況の影響をモロに受け、陰惨でどんよりとした雰囲気が充満する街となっている。


 筆者はこの街を3回ほど訪れているのですが、一度も「美人」「可愛い」「格好良い」「ハンサム」の部類に入る人を見ていません。同行した人間も揃って同意見のため、筆者の趣味嗜好が一般と大きく隔たっているわけではないようです。路上にはおじさんが寝ており、近くには空の焼酎瓶が転がり、公園では住民の皆さんや露骨な外見をしている人達が談笑しており、活気と若者は完全に影を潜めています。また、街のいたるところに、ヘル・エッジロードの終着駅的なスポットが点在しており、近付く者の背筋をヒヤリとさせます。平安京は結界を作るように出来ていた、という話は有名ですが、山谷もまた、GHQと復興委員会の手により、何らかの結界を施されているのではないだろうか、と筆者は考えます。散策すればするほど、人生について深く考えさせられてしまう街です。
  一方で、現在は、バックパッカー的な外人旅行者の宿泊スポットとして注目を浴びているという話もあります。変化やカルチャーショックを求める方は、一度足を伸ばしてみてはどうでしょうか。




アクセス
 JR常磐線南千住駅から泪橋方面へ5分ほど歩くと到着。山谷地区に入ると空気が変わるのが分かります。

宿泊料金
 1500円あれば上等な宿に泊まれます。なんと、ネット可能の宿も! 泪橋近くには銭湯もありますが、入らないほうが無難。

飲食
  大衆食堂のような店は割とあります(筆者は味は未確認です)。コンビニはセブンイレブンとファミリーマートが確認できました。マック、吉野屋といったファーストフード店やフランチャイズ店は確認出来ませんでした。一件、ケーキ屋があったのが衝撃。

じゃあ前置きは終わりで、決死の取材結果(2.8M)。

 

2003/1/29